"Grand Central Termnal, Winter 1989."

Lee Stringer, "Grand Central Termnal, Winter 1989.,"Grand Central Winter: Stories from the Street

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But it was also true that our actions were self-serving as much as anything else. The interests we considered, however they may have co-joined with Waldorf's, were our own, and what risks we took were calculated.
 しかし、我々の行動も、他のことと同じくらい自分のためを考えてなされたというのも事実だった。我々の頭にあったことといえば??たとえそれがウォルドーフの利益につながったかもしれないにせよ??自分たちの利益であり、我々が負うリスクも計算されていたのだ。

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 「私たち」というのは、ニューヨークのグランド・セントラル駅でホームレス生活を送るLee本人とCraigという仲間の二人で、上の引用は、金を奪われそうになっていたWaldorf氏を助けたあとでそれについて回顧している場面。Waldorfはホームレスの集団を目の当たりにし、"Oh my God"と叫んだことでカモとして目を付けられた(ニューヨーカーならホームレスを見て驚いたりしない)わけだが、ここでは具体的な内容はどうでもよく、むしろ考えたいのはそういう文脈を離れたうえでの引用文の内容である。
 大学に入ってから特に強く思うようになったのは、「自己の利益」を100%完全に離れて(考慮に入れないで)行動することは不可能なんじゃないかということ。とりわけ、長期的な展望において。「情けは人のためならず」というが、まさにその通りだと感じる。いや、情けに限らず、どんなことであっても。
 念のため書いておけば、これらのことを「自分に」強く感じる、ということを強調しておきたい。私から見る限り、自分の利益というものにさほど執着しない人というのも(おそらく)確かに存在する。そういった現実を横目で睨みつつ、どうしても自分の利益から離れられない、またはそれを巧妙に論理を仕立て上げてやり過ごそうとしている自分に気持ち悪さを覚える。

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 おお…物事を整理して書く能力を恐ろしく欠いています。本当は上の内容はうまいこと「倫理」とつながるはずなんですが(少なくとも頭で考えているうちはつながっています)…。