書けない

 最近、文章が書けない。
 文章、そしてそれを可能にする言葉は、第一には他者との意思疎通のためにあるものだと思っている。いや、そう思うようになった。そうだとすれば、自分の頭の中で考えるために言葉を使うというのは、ちょっとした本末転倒ということになる。
 もちろん考えるためには言葉を使うしかないじゃないかと思う人はいるだろうし、それには真っ向から反論もできないのだけれど、僕が「ああ、そうだったのか」と「わかる」ときは、案外そこに言葉が介在していないように思えてならない。この微妙な齟齬って何なのだろう。早すぎて追いつかないだけで、実は言葉でわかっているのかもしれないし、本当に言葉が媒体となっていないのかもしれない。

 あれっ、何でこんなヤヤコシイこと言ってるんだろう。そうじゃなくて、「言葉を発する」ということは「誰かに語りかける」ことに他ならない…ってあれ、これじゃあ当たり前すぎるなあ。やっぱり書けない。

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 書けないと言えば、レポートも書けない。昔からあまり書けないのだけれど、最近はとりわけ書けない。文学部のくせに。文学部のくせに、小説読んでも「ふーん」以上の感想を抱けず、レポートは「ふーん」では書けないので、無理矢理何か書けそうな論点引っ張って来てゴニョゴニョ理屈こね出すのだが、その作業が苦痛でたまらなくなってきた。
 そもそも「ふーん」としか思わない時点で文学部しっかくなのだが、こうなってしまった一因は、普段あまりものを考えなくなってきたことにある気がする。僕を知る人間の中には、ひょっとすると人によって「おいおいあまり考えない方がいいんじゃないの」と思う御仁もおられると思うけれど、実は僕はあまり考えていないクルクルパーなのである。パーなのは知ってるけど…という声が聞こえそうで。ああ、ほんとに、パーなりに考えて生きていきたいよ。