『読書術』

エミール・ファゲ『読書術』(石川湧訳)、中公文庫、2004

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 1940年に春秋社思想選書として出版された本を底本に、中条省平の校注で中央公論新社から文庫化された本書は、本国フランスで「クラシックともいうべき地位を確立している(解説より)」書であるという。

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 最近の関心(というより悩み)は「小説を読むとはいかなる行為か」にあることもあり、昨年購入した本書に手を伸ばしてみた。漠然と読んだ昨年とは違って、著者の言わんとするところが少しは理解できたように思う。九章「批評の読書」から少し引用させて頂く。

 ……読者たる私にとって重要である(そして実際それが私の義務である)のは、自身の印象を持つことであり、正に自分のものである印象を持つことであり、他人の印象に従ってコルネーユに感動することではなくして、自身自らコルネーユに感動することであるからである。批評家によって私が置かれた観点、それは批評家のものである。批評家がその中に私を置いたところの心構え、それは批評家のものである。かくして著者を読むに先立って批評家を読むことは、著者を自分で理解することを妨げることである。……すなわち正に楽しみに対して自分を不能ならしめるために働くことである。まことに大した御利益である!(pp.195-196)
 として、批評を前もって読むことを退けたうえで、彼は批評家と文学史家の区別を促す。かつて文学史家とされた人間は実は批評家であることが多いという。では彼の言う文学史家とは。
文学史家は出来るだけ没我的でなければならぬ。……彼は、これこれの著者が彼に対していかなる印象を与えたかを言うには及ばない。著者が同時代者に与えた印象だけを語ればよい。……その著作のこれ又はあれを書いたときの一般的・国家的・地方的・家庭的・個人的な状況を調べなければならぬ。(p.198)
 そしてこう結論する。
もしも彼が文学史家であるならば、著者を読む前に読むべきであるし、又もし彼が批評家であるならば、決して前もって読んではならない。(p.202、強調原文)
 批評家は……ある心構えやある観点において読むことを準備するのではない。そうであったならば彼は有害であるだろう。彼はある観点やある心構えにおいて読み返すことを準備するのである。ここにおいて彼は有用である。(p.204、強調引用者)