剽窃について

 またさぼってしまいました。反省。
 以下は、この前ぼけえっと考えたことです。とても当たり前すぎるので載せるのも恥ずかしいんですが。

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 多少なりともまともなレポートを書いたことのある人ならば、引用や参考文献を示す手間に煩わされた経験を少なからず持っているだろうと思う。その手間は、ひとえに「この考えは誰に由来する(誰が発明した)ものなのか」ということを明示しなければならない、つまり剽窃をしてはならないというルールによるものだが、なぜそうする必要があるのだろうか。
 手元に、戸田山和久論文の教室』(NHKブックス)という本があるが、これによるとそれは

アカデミックな世界には、「人がそれなりの努力を傾注して調べたり考えたりして到達した真理・知識は、基本的には人類すべてのものとして共有されるべきである。しかし、その代わりに、それを生みだした人にはそれ相当の尊敬が払われなければならない」という基本的なルールがある。剽窃はこのルールに違反している。

からだという。ちゃんと敬意を示しましょう、ということだ。
 それはもっともだと思うが、果たして本当にそれだけだろうか。僕が思うに、要は「学者と言えども食わねばならぬ」ということではないのか。「これは私が考えたんだ、だからそれ相応の報賞金をもらう資格があるのだ」ということを、学者たちが相互に保証しあっているということではないのか。「人類すべてのものとして共有されるべき」であるならば、極めて重要な発見はともかくとして、些細なことにまでいちいち「誰々のものである」と銘を入れなければならない理由はないように思う。
 「剽窃されるとまんまの食い上げになるからやめてくれ」、そういうことだろうと勝手に解釈している。

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 ちなみに、この『論文の教室』という本はとてもお薦めです。「読み通せる」ように書いた、という著者の言葉通りの出来になっていると思います。