英文学とは何か

ロバート・イーグルストン(川口喬一訳)『英文学とは何か 新しい知の構築のために』、研究社、2003

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[梗概]
 英文学(English)は実は歴史の浅い学科目である。それもイギリスではなく、英植民地時代のインドで誕生した。その目的は「野蛮」な現地人を「文明化」することであった。第一次世界大戦の前後から文学を研究することによって人間性を取り戻すという考え方が生まれ、リーヴィス夫妻によって英文学がディシプリンとして確立された。彼らの提唱する「正しい」研究法は次のようなものである。文学作品には芸術的価値が「内在」しており、「客観的」に研究されるもので、自然に「生起」する反応を実証しなければならない。
 彼らはこれが「唯一正しい」方法であるとしたが、ここには明らかにいくつもの前提を含んでいることが見逃されている。「客観的に読める」ということは、誰が読んでもたどり着くことのできる(たどり着かねばならない)テーマがあり、何らかのメッセージを読み取れる、ということである。このことは「英文学を読む」ことを骨抜きにしてしまった。客観的に導ける正しい解答があるのなら、もはや文学を読む必要はなく、個々人の読書体験などは意味をなさない。
 これら伝統的研究法に対する懐疑の結果として、「文学理論」という考え方が生まれた。いかなる解釈も中立的・客観的ではありえないのだから、当然さまざまの解釈法があるし、我々は進んで自らの解釈の仕方を考えなければならない。ここには、もはや「正しい」方法などはありえない。
 文学理論を考えるにあたって何から始めればよいのか。それにはまず、読む態度には「内在的態度」と「外在的態度」とがあることを知ることである。一言で言えば、前者は「テクストそのもの、すなわち紙の上の言葉に集中する」ことであり、後者は「テクストはあくまで世界の一部、すなわちコンテクストを重視する」ことである。

 では、「英」文学とは何か。英文学は国家的アイデンティティの問題と密接に関わっているだけでなく、社会と世界における我々の立場についての考え方にも関係している。このことは、広い意味で英文学は政治的活動であるということを意味している。また英文学は他の学科目との境界が極めてファジーであり、他領域のディシプリンからの知識を利用し同時にまた侵食もする。それゆえに、英文学は論議と討議のために最も開かれた学科目であるし、刻々と変化するさまざまな思想を探求する自由を我々に与えることにもなる。

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[感想など]
 結局「英」文学とは何か、というよりも「○○文学」とは何かという本である。本書の原題はdoing englishであるが、eが小文字であることはそのままこの本の主題がdoing literatureであることを意味している。イギリスの大学における英文学のあり方がわかったのは面白かったが、あくまでこの本は、文学理論がどうして必要とされたのか、そして今なぜ必要なのかということをわかりやすく説明していることに価値がある。最近大量に読んでいる文学理論関係の本の中でもかなりわかりやすかった。おすすめ。